ホンダ・オデッセイ誕生について
オデッセイの初期モデルは1994年に販売開始されました。現行型は5代目の自動車になります。
販売された当時、ワンボックスカーと言えば後席ドアのデザインは、スライドドアが常識でした。しかし開発費の関係で初代オデッセイは、後席スライドドアを採用することができませんでした。このことが逆に世間が思う従来のミニバンの常識を覆すことになり、日本で大ヒットしました。
発売当初の月販目標台数は約4,000台でしたが、最盛期では月販約10,000台を記録しました。特に売れ行きが好調だったのが1995年~1996年でした。1995年にアコードの年間販売台数は約12,000台だったので、初代オデッセイはその10倍の売り上げとなります。また同時期に発売されていたシビックも50,000台程度でした。このことからも分かるように、初代オデッセイがものすごい大ヒットであったことは疑いようもありません。
初代オデッセイが販売されるまでのホンダはセダン・クーペ以外の車種展開が遅れていました。これも原因で当時のホンダ社は、業績が低迷していました。その当時、主力銀行が同じであった三菱自動車と合併するのではないかと噂されるほどだったのです。このような時代に登場した初代オデッセイの大ヒットは、ホンダの救世主であったと言えます。初期型のオデッセイに始まり、現在でもホンダの基幹車種としてラインナップされているのです。
初代オデッセイが得た評価・影響
初代オデッセイは販売当初予想以上の売れ行きを見せました。この初代オデッセイは発売開始された1994年に日本カー・オブ・ザ・イヤー特別賞を受賞しました。その翌年にはRCJカー・オブ・ザ・イヤーを受賞する結果を残しています。
この初代オデッセイの大ヒットがあったからこそ、今のホンダにラインナップされている「エリシオン」や「ステップワゴン」といった車が開発されることになったのでしょう。オデッセイが販売開始されるまでは、ホンダ社はセダンとスポーツカーに拘った車両開発をしていました。これを機にミニバンを開発するような方向転換が行われたのですから、オデッセイがなければ今のホンダ・ミニバンは世に生まれてこなかったでしょう。それほどに初代オデッセイが与えた影響は大きいと言えます。
現行車に引き継がれるオデッセイのコンセプト
(出典:クリエイティブ・ムーバー)
1994年の初代オデッセイ販売から20年以上経過していますが、現行のオデッセイにも共通している特徴がいくつか残っています。
1つめにあげられるのは「走り」の良さです。もともと初代オデッセイは、開発費の関係からアコードのプラットフォームを用いて開発されました。そのためセダン同等の運動性能を手に入れられたと言えます。ミニバンでも運転する楽しさを捨てない努力がされてきました。その走りの良さを失わないためにも、現行オデッセイでも足回りを重視しているのは公式ホームページを見れば明らかです。また乗り心地を損なわないためにもダンパーは設計されています。
加えて、操縦操作性も高い次元で実現するためにデュアルピニオンEPSを採用しています。
オデッセイはミニバンの中でも高い旋回性能を持っています。ミニバンクラスでは驚異的な最小回転半径の5.4mという数字をマークしています。切り返しを多くせず曲がれるのは運転者からすると非常にありがたいことです。
2つめにあげられるのはホンダ社自ら提唱した「クリエイティブ・ムーバー(生活創造車)」というコンセプトです。クリエイティブ・ムーバーとはホンダ社が発売したRV車シリーズの総称です。「生活創造車」の文字の意味通り車を人生への付加価値としようとする考えは現行のオデッセイにも生き残っています。オデッセイを正面から見るとミニバンとは思えないスタイリッシュなデザインです。自動車好きでない人に対して、これがミニバンだと教えると驚くでしょう。
オデッセイが初期より追求してきたことは、ミニバンではないミニバンの創造です。これはデザイン性だけではありません。「走りの良さ」と「乗り心地の快適性」の2つを究極な形で表現することを追求してきたように思えます。一見すると両極端に位置するような関係に思えますが、低床・低重心化は運動性能を引き上げ、室内空間の拡張へと繋がり快適な乗り心地と居住空間を実現しました。
まとめ
(出典:ODYSSEY)
初代オデッセイが発売された当時は、ミニバン・RV車ブームでした。このブームに乗り遅れて後発的に発売した初代オデッセイが人気を博すことができたのは当時の経営陣にも想定外だったでしょう。結果から見れば初代オデッセイがあったから、今なおホンダ社は生き残っていると言っても過言ではないと思います。
またオデッセイの登場によりミニバン開発へも注力するようになり、ステップワゴンやCR-Vも販売するまでになりました。初代オデッセイの功績は経営不振に陥っていたホンダ社を立て直したことと、その後の車両開発方針に多大な影響を与えたことだと言えます。